~会員紹介の映画を見て考えたこと~
前号の「サンクラブ多摩だより」に掲載された映画を見てきました。精神疾患の患者を家に閉じ込めていた「座敷牢」といわれる現実があったという歴史は知っていましたが、ノーマライゼーションが掲げられ、社会や家族のかたちが変化した今でも、別の形で厳然と家族の足元にあるという事を突きつけられた映画でした。
この「どうすればよかったか?」は、社会から隔たれた家の中で、発症した姉と両親との関わりを20年にわたりカメラを通して記録した映画です。家族との生活や対話を淡々とありのまま弟が撮影していた映像を、姉の死後、ドキュメンタリー作品としてまとめたもので、演出のないリアルな記録で構成された作品ゆえに、様々なことを私たちに提示してくれます。私にとって一番印象的であり、驚いたのは、高森先生がSSTで話される事と、映像を通して伝わってくることが、ぴったり重なっていることでした。
子どもが精神を病んだ時、病気に対する偏見や不確かな情報が、大きく親にのしかかり、不安は増すばかり。子どもは親の心を敏感に感じ取り、さらに症状は悪化していく。親密な家族であるがゆえに、親は事実を受け止めきれず、自分と子どもを同一視し、子どもが自分とは異なる他者であることに目をむけられずに、良かれと閉ざされた環境の中で先回りをし続けていく。
高森先生がよく紹介される「狂気は家族や仕事などの周りの環境がつくりだす」というイタリアのバザーリア先生の指摘が、姉と親とのリアルな生活映像にピッタリとあてはまるのです。親ゆえに「この子を何とかしたい」「我が子は統合失調症ではない」という強い思いで、当事者の意思抜きの独断的ともいえる決めつけが積み重なり、当事者である姉を追い詰めていきます。「我が子の今を認める」ことこそが、対話の第一歩! でも、目の前のありのままの我が子でなく、自分の思いが作り上げた我が子を前提に、必死に関わり続ける親の姿が描かれます。
対照的なのは、無力感を感じながらも、カメラを回すことで、親に現実を見てと訴え続ける弟。姉や両親に寄り添いながら対話を重ね続ける姿勢に、家族への愛を感じました。興奮した時に、姉は弟には暴力的にはならなかったということが、当事者にとって大切なものは何かを教えてくれます。世間的には大成功者である医師であり学者である両親が、目の前のありのままの娘を認められないまま、老いの影響もあって、姉を軟禁状態にして外に出さずに、家族ごと引きこもっていく様子がリアルに映し出されます。
両親の老化と病気によって家族生活が窮状に陥った結果、最初の異常で救急車を呼んだ時から25年を経て、初めて入院した姉。3か月入院し退院して見せた落ち着いて生気が漂っている表情の映像に、「よかった」いう感情と、「もっと早く治療につながっていれば、より豊かな人生が送れたのではないのか」という割り切れない思いが胸をよぎりました。
母親の死と父親の病気入院を経て、やがて父と娘の二人暮らしが始まります。精神疾患を抱えながらも、食事を作り、花を愛で、夜空の花火を見上げ、日常生活の小さなふれあいや楽しみを重ねていく姉の様子がスクリーンに登場し、その表情が柔らかくチャーミングで、「日々の生活の質」がいかに大事かを教えてくれます。その後、末期ガンにより62歳で亡くなってしまった姉。その姉への思い、変えることのできなかった家族関係への複雑な感情が滲む作品です。あらためて、SSTで学んだバザーリア先生の言葉の意味をかみしめました。
(F.M)


*映画「どうすればよかったか」は川崎市アートセンター(044-955-0107)のほか、イオンシネマシアタス調布(042-490-0039)でも上映終了になりましたが、また再開するという話も聞いていますので、直接上映館にお問合せください。
